アサナの練習で、瞑想の練習
先日、タイ瞑想を体験しました。ジッと座るのではなく、手を一定の動作で動かし続けたり、歩いたりしながらの瞑想です。別名「気づきの瞑想」と言われているそうです。
動かしている手や足を意識する事で、過去でも未来でもない「今」に気づいていきます。
実際、歩きながら、普段何となく気になっていた事が頭の中をぐるぐる回り始めます。「昨日のアレ失敗したなぁ」とか、「来週のアレ、どうしようかなぁ」とか。
そうです。「過去」や「未来」のこと。(自分でコントロールできない事に執着するのはストレスの元ですよね)
それに、ただ気づき(評価はしません受け入れます)、それを手放し(捨て)、また今在ることを味わう。これを繰り返します。
とっても簡単な説明で、先生に怒られそうですが、こんな感じです。そして、この気づいて行く作業に慣れると、負のストレスが掛かった瞬間すぐ右から左へそれを手放せるようになるよとおっしゃっていました。(そこまで行けたらすごい!)
この瞑想を体験して感じたのは、自分がアサナの練習を通じてこれと同じような(微妙に違うのですが)作業を自然と行っていた事に気づきました。そのクラスには、ヨガをやってる方が居なかったので、他の方はどうなのか分かりませんが、普段ピラティスをされている方は、色々戸惑ったそうですが、私はすんなり馴染む事ができました。
アサナで自分の身体の細かい、目には見えない、手で直接触れられない部所にまで意識を集中して行く作業は、瞑想の練習でもあるんだなと、改めて思いました。
ヨガ初心者でも身近なのは、シャヴァーサナの時、色々考えが浮かんで来ますよね?その時は、それに気づいて、そうゆう事もあるよねと、とりあえず手放します。なぜ「とりあえず」かと言うと、また後で同じ考えが浮かんで来てしまう事もあるからです。そうしたらまた、「ああ、はいはい」と、とりあえず手放します。
どうぞ、皆さんの 取り越し苦労と、持ち越し苦労が減りますように。