NPO現代座公演「約束の水」のおじいさんの生き様

写真-3
『約束の水』をご覧になっていない方には申し訳ないです。
公演が終わりましたので、あらすじも載せてみました。

『約束の水』

◆T市の観光課にミツコと名乗る日系ブラジル人の若い女性が
「谷山村へ行きたい」と訪ねてくる。旧谷山村は山間の僻地で
今は無人地区である。戦前に谷山村からブラジルに移住したミ
ツコの祖母が、故郷の村の「約束の水」という湧き水を恋しが
りながら息をひきとったと語り、その泉を一目見たいと言う。
そこで谷山生まれの広報課職員ミキは幼なじみの靖夫に声をか
け、ミツコを谷山地区に案内することになる。
◆山奥の谷山地区へ入ってみると、なぜか街で暮らしているは
ずの靖夫の祖父、山中三郎が畑を耕していた。三郎は、長い間
寝たきりの妻チヨを介護していたが、チヨが亡くなると時折一
人でどこかへ出かけるようになり、周囲を心配させていた。
三郎は昔住んだ山の家を手直しし、かつての集落の跡に案内板
を立てながら、昔の記憶を呼び戻そうと努力していたのである。
 三郎は「約束の水」のありかを尋ねられるが、どうしても思
い出せない。だが、この村を終生恋しがったというミツコの祖
母の話を聞き、なんとかしてその泉を探してやりたいと思う。
◆そこへ靖夫の父啓一と母のよし子、林業作業士の竹田が三郎
を連れ戻しにやってくる。よし子は出来ることなら三郎の思う
ようにさせてやりたい。山で林業に従事する竹田も、自然から
遠ざけて年寄りを保護することには後ろめたさを感じている。
だからといって放置することもならず、頭を抱える。
しかし、年老いた父親を無人地区に放置する親不幸息子と噂さ
れた啓一は、なんとしても親父を連れて帰ると息巻いている。
 三郎は啓一の説得を無視し、ミツコを連れて泉探しに出かけ
ようとする。それを押しとどめようとする啓一と争ううちに、
三郎ははずみでひっくり返ってしまう。「もう駄目だ!……」
 やっと起き直った三郎の目には涙がにじんでいた。
◆そのときミツコは「おじいさんと出会っただけで、おばあち
ゃんはとっても喜んでいると思います」と礼を述べ、「これは
おばあちゃんの形見です」と青い小石を差し出した。その青い
小石を受け取った瞬間、三郎はその小石が小学校の近くにあっ
た「約束の水」の水受け場のものであることを思い出す。ブラ
ジルへ行く同級生の女の子のために、その泉の前でお別れの会
をした情景がよみがえってくる。在りし日の村の暮らしを語る
三郎の顔は輝いていた。ついに啓一も「父さん、その泉を探そ

う」と言いだす。一同は三郎の記憶を辿って泉を探し始める。

と、いうお話し。おじいさんは、長生きする為だけにゲートボールをやるのは、自分には向かない。身体が動く間は、山を歩き、畑を耕す暮らしをしたいと願います。

私は、「ヨギは決して死ぬ事を恐れはしない。なぜなら自分の身体の細胞の隅々に至るまで命を吹き込んでいるからである。我々が死を恐れるのは、人生を生きてこなかったことを恐れるからだ。ヨギは生きてきたのである。」(『アイアンガー心のヨガ』柳生直子監訳より)という言葉を何となく、思い浮かべました。

おじいさんの台詞「俺の帰るところはここしかない」
「人間どうせ一度は死ぬ」
「つまらん死に方はしたくない」

「つまらん生き方はしたくない」ではなく、「死に方はしたくない」、と言うのが好きです。
分かりきった事ですが、「かっこ良く死にたい」という意味ではない。
おじいさんの、最後まで、生き抜きたいって思いが詰まっていて、大好き。
ヨガを勉強しているしていないに関わらず、アイアンガー先生の「我々が死を恐れるのは、人生を生きてこなかったことを恐れるからだ」という言葉は、心に深く響きますね。

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